周りから応援してもらえない人間について 「人格の連鎖」
周りに応援されたいのに、「応援されていない」と感じる人間がいる。
特に進学や就職などの重要度が高い選択をする際には、本人の意図を考えずに〈社会的に安心かどうか〉、〈自分たちの体面はどうか〉という点が彼らの中で優先されてしまい、本人の選択は信用されない。
これはなぜか。ある記事を読んでいて少し感じたことがある。
◆引用
説明が凄く難しいので、まずはこの記事を途中まででも参照して頂きたい。
都合のいい所だけ自己解釈すると、≪子供の頃からの環境が大部分の人格を形成してしまう≫ということだろうか。
そんな風に感じられた。
大学の時に受けた(多くの人が受ける?)カルチャーショックも、出会った人の育った環境から形成された個性の違いから来ている。
それは中学校や高校の入学時にも少なからず感じたことでもある。
たまに聞く、「異性をとっかえひっかえし、寄生することでしか生きていけない」という状態も、肉親がそうであったからその生き方しか知らないのである。
「貧困の連鎖」と呼ばれるものだ。
余計な話を挟んでしまったが、貧困の連鎖になぞらえて表現すると、「人格の連鎖」とでも呼ぶべきであろう。
「子は親の鏡」、「生き写し」という表現も近いものだ。
ここまで書いて、成功しないことを周囲のせいにしてしまいたくなった。
確かに現在の人格ができあがるまでには、養育環境が大きな影響を持っていることは違いない。
◆結局何が言いたいのだろう
周りから応援されないことで、本人は「自分は間違っているのではないか」と委縮してしまい力が出せない。
(期待による効用、プラシーボ効果というものもあったな。)
結局、周りに説明し納得して貰っているように見えても、本心では「言い訳していないで働け」というプレッシャーに押しつぶされそうになる。ひしひしと感じ、やる気を奪っていくのである。
世の男性は上の記事で書かれているような「努力教信者」になれるかどうかで苦しむことになるのであろう。